今回の疑問は、和歌山市のおちあいくんから届いた「安原小学校にある『みふね山』という古墳はだれのお墓?」です。

 早速、行ってみると、確かに校門を入ってすぐ右側に、大きな岩や船を形どった石などが整備された区画がありました。

 安全面から立ち入りは規制されていますが、児童が清掃し、大切に守られているこの場所は、どんな歴史を秘めているのか。小学校の親子を対象に、地元の史跡を案内する「安原ウォーク」を開く山下裕邦さんに話を聞きました。

 


 

古墳ではなく古代伝承の旧跡

 「安原小にある古墳はだれのお墓?」。地域の歴史に詳しい山下裕邦さんに聞くと、「古墳ではなく、古代の言い伝えを元に、1983年に整備された『御船山遺跡』と呼ばれる旧跡地です」とのことでした。

 和歌山市東南部に位置する安原地区は古代、阿備と呼ばれ、大きな入江になっており、海から船が着きました。『日本書紀』によると、神功皇后が朝鮮半島を攻めている間、国内では後継者争いが発生。皇子(のちの応神天皇)の身に危機を感じた皇后は、当時の補佐役で、阿備出身の武内宿禰に我が子を託しました。皇子が朝鮮半島から大和(奈良)へ戻る際、乗っていた船を泊めたのが阿備で、以後この場所が〝御船山〟と呼ばれるようになりました。この伝説を今に伝えるためのものが、安原小にあったんですね。

 ちなみに歴代天皇を支え、戦前の紙幣にもなった武内宿禰が産湯に使ったとされる井戸が、安原地区の武内神社に残っています。

(ニュース和歌山/2019年9月14日更新)