今回の質問は、和歌山市の梅干みかんパンダさん(40)から。「今更ですが、和歌山県という県名は〝和歌〟から来ているのでしょうか?」です。

 改めて聞かれて、即答できる人はどれくらいいるでしょうか。和歌山城、和歌浦とのかかわりが想像され、和歌浦には和歌の神様をまつる玉津島神社があります。由来はそこなのでしょうか?

 『和歌山県謎解き散歩』などの著書のある歴史学博士の小山譽城さんに尋ねました。

 


 

若い浜に和歌が重なる?

 「和歌山県の県名は〝和歌〟から来ているのでしょうか?」。歴史学博士の小山譽城さんに尋ねました。

 やはりまず和歌浦です。現在の干潟あたり、奈良時代以前は「弱浜」と記され、「わかのはま」「よわはま」と呼ばれました。「若々しく活気があり、これから成長する干潟という感じだったかもしれません」

 724年、ここを訪れた聖武天皇は「弱浜」を「明光浦」(あかのうら)と呼ぶ詔を出しました。一方、聖武天皇とともに訪れた歌人の山部赤人は、万葉集で「若の浦」と記しています。ここから当時、既に「若の浦」と呼び記されていたともみられます。

 平安時代になると、歌の中で「和歌の浦」と記されることが出てきます。「〝若い浜〟に〝和歌〟が重ねられたのでは」と小山さん。このほか、『紀伊続風土記』には「和歌」は玉津島神社の祭神で天照大神の妹神、稚日女尊(わかひるめのみこと)にちなんだものかとの説も紹介されているとのことです。

 決定的なのは1585年、羽柴秀吉による紀州統一です。秀吉は和歌山城を建てる場所を岡山に選び、南にある和歌の浦を合わせ、初めて「和歌山」という地名を書状に記しました。

 「江戸時代に若山で統一しようとしましたが、実際は若山と和歌山が混用されています。明治に和歌山県となり、今へと至ります」。よくワカりました。

(ニュース和歌山/2020年4月11日更新)