今回の疑問は、和歌山市の岡本弘さん(67)から頂きました。「旧和歌山大学、現在の放送大学(同市西高松の松下会館)の南東角に銅像が並ぶエリアがあり、一つは名前がありますが、西の青年には何の説明もありません。芸術性を感じるこの像は一体、どなたでしょう?」

 東側の胸像には「岡本一郎先生」と名が書いていますが、もう一つは「大正十五年、角??作」とくずし文字が裏にあるだけ。だれなのでしょう? 松下会館を管理する和歌山大学の広報室に聞きました。

 


 

和高商の寮監 野村越三氏

 「松下会館に並ぶ胸像。この青年はだれ?」とのご質問です。和歌山大学広報室に尋ねると、『和歌山大学の歴史と展望』『和歌山大学松下会館1961〜2011』の資料2冊を提供頂きました。以下、両書の内容に即します。

 さて、この2体の胸像は、ここにかつて存在した和歌山大学経済学部の前身で、1922年に開設された官立和歌山高等商業学校の関係者です。

 まず名前がある東の像は、山口県出身で初代校長の岡本一郎氏です。同校の基礎を築いた人物で、像は開学10周年記念に作られました。作者は和歌山出身の彫刻家、保田龍門です。

 問題は西の像です。くずし文字は、大分県出身の彫刻家、片岡角太郎氏の名。像は学生寮「励行寮」の寮監、野村越三氏です。野村氏は大分県佐伯市の佐伯小学校で、児童の健康体力増進で成果をあげ、24年に岡本校長に招かれ、和歌山に来ました。

 朴とつとした人柄は学生に慕われたようですが、翌年に他界。学生は死を惜しみ、胸像を学内に建てました。同じ胸像が佐伯城跡にもあり、和歌山の学生だけでなく、大分の人にも愛されていたのをうかがわせます。

(ニュース和歌山/2020年10月24日更新)