春の高校野球で奮闘した和歌山東高校ナイン。初戦突破後に流れた校歌の歌詞には、地元の地名「小手穂」がありました。今回、調査するのは、和歌山市の元住人のオッサンさんから届いた「森小手穂にある弘法井戸の由来を知りたい」です。

 岡崎支所で場所を聞き、足を運んでみました。井戸自体は封鎖されていますが、脇の管からこんこんと水がわき出ています。現在は近隣の数軒が管理し、花を飾っています。そばに立つ掲示板には「弘法大師小手掘りの井戸」との記載。さて、どんな由来でしょう…。

 


空海が描いた円から水がわく

 「森小手穂にある弘法井戸の由来を知りたい」。地名の由来でもある「御手掘井因縁」を書き写した古文書を所蔵する近くの常福寺を訪ね、見せてもらうと、次のような記述がありました。

 平安時代、岡崎地区を訪れた美僧が飲み水を求めた際、オサキという老婆が約1㌔離れた場所にあるきれいな水をくんで渡しました。それを知った美僧がお礼にと、杖で地面に円を描くと、たちまち清水がわき出しました──。

 江戸時代の地誌書『紀伊続風土記』にも「弘法大師御手堀といふ」と記されています。面白いのは注釈です。中国の書物『廬山記』に、有名な僧侶が杖で地面をコンコンとたたくと水が出てきて、そこに庵を建てたとの話があり、これと同様だと書かれています。

 弘法井戸は和歌山市善明寺や紀の川市打田はじめ、京都府や兵庫県、千葉県など県内外にあります。和歌山市立博物館は「生活に直結する水は寺社とのつながりが深い。著名な僧侶が訪れたとなるとはくがつくことから、似た話は各地に残っています。この辺りは昔、真言宗が盛んで、空海の思想が行き渡っていた証でしょう」と話します。

 ちなみに鈴木教雄住職によると、常福寺はもともと真言宗でしたが、500年ほど前に蓮如上人の教えを受け、浄土真宗に改宗したそうです。

(ニュース和歌山/2022年4月2日更新)