〝寸〟〝貫〟〝石〟…。これらは昔使われた、長さや重さを表す単位です。今回の質問は和歌山市のC・Mさんの「四箇郷地区にある一里塚は、どこから一里なの?」です。

 〝里(り)〟とは距離を表していて、1里は約4㌔です。この塚は江戸時代の交通遺跡として1940年、国の指定史跡に選ばれました。同市新在家にあり、国道24号をはさんで道の両側に今もきれいな形で残されています。

 どこを出発点にした4㌔地点としてこの名前がつけられ、また何のために造られたのでしょうか?

 

道の両側に松が一本ずつ


城と城下町を分ける橋から

 「和歌山市四箇郷地区にある一里塚はどこから一里なの?」。市立博物館に聞くと、「本町の京橋からです」とのことでした。

 なぜ京橋から約4㌔地点なのでしょう。江戸時代、橋が架かる市堀川から南側は、武家屋敷が建つ和歌山城の三の丸で、城の守備範囲でした。一方、橋の北側は町民の家が並んでいました。京橋は城の敷地と城下町の境目だったのです。

 1619年、徳川頼宣が紀州へ入国した際、道路の整備を命じ、移動距離を示す、旅行者への目印にと街道沿いに一里塚が造られました。

 また当時、年に一度行われていた参勤交代で、藩主が江戸に向かう見送りや、帰ってくる際の出迎えのため、一里塚に家来たちが集まったそうです。

(ニュース和歌山/2022年11月5日更新)