読者の疑問を調査する人気コーナー。今回は、和歌山市のR・Nさんから届いた「和歌山大学附属小学校の駐車場に『カール・ケッペン』と書かれた石碑がありますが、和歌山とどのような関わりがあった?」について調べました。
同小の西端にある関係者用駐車場に建つ石碑には、「カール・ケッペン寓居之跡」とありますから、ここに住んでいたようです。側面には「和歌山日独協会創立十周年記念」と書かれています。裏側は道路から見えず…。謎が深まりますね。
カール・ケッペンがどんな人なのか、なぜこの場所に石碑があるのか、聞いてきました。
軍強化と同時に産業の礎築いた
「石碑の『カール・ケッペン』は和歌山とどのような関わりが?」。石碑建立の中心となった和歌山日独協会に聞くと、「ドイツの元軍人で、紀州藩の軍で教官となり、後の産業にも影響を与えた人」との回答でした。
江戸時代末期、紀州藩は軍を強化するため、西洋を見習うことに。仕事で大阪に来ていたケッペンに陸奥宗光が声をかけ、1869年12月、お雇い外国人として「兵学寮」と呼ばれる軍訓練施設の教官となります。
ケッペンは訓練を始めるにあたって、革靴や軍服、弾薬が必要と考え、母国から職人を招きます。靴職人の専門学校「西洋沓製法伝習所」を開き、紀州ネルや鉄砲弾の製造も開始。これらが後の皮革、繊維、化学の地場産業の発展につながっていきます。71年8月、廃藩置県を機に任務は終了。2年もない間に県の産業の礎を築いた、和歌山との関係がとても深い人です。
石碑は、職場となる兵学寮のすぐ近くに設けられた仮住まい(寓居)跡に建てられています。現在は、和大附属小中学校の敷地内ですので、許可なく立ち入って見学することは控えてくださいね。
(ニュース和歌山/2023年7月29日更新)