硬式野球の全国大会が甲子園で繰り広げられる一方、和歌山県内の高校では軟式野球部がピンチを迎えている。部員減から廃部の危機にある学校が増えたからだ。全国も同様で、1984年に702校あった高校野球連盟加盟校は今年、436校に。最盛期に18校だった和歌山は6校にまで激減し、ここ2年は合同チームでの大会参加が見られる。各校とも危機感を募らせ、「少人数だからこそ助けあおう」と、合同練習の機会を増やし、存続に向け懸命だ。

 

9人そろわず合同チーム編成

 県の高校軟式野球は、県大会が初めて開かれた1948年にさかのぼる。参加校は記録が残る54年に14校、64年は最多の18校だった。県勢の実力は高く、84年に新宮が全国選手権大会を制覇。2014年には南部が国体を制し、野球王国の面目を保った。

 一方、注目度が高い甲子園を目指し、中学から硬式に移る少年野球経験者が目立つ。かつては中学校の軟式野球部に入るのが主流だったが、1980年ごろから硬式チームが増えたためだ。

 その影響もあり、軟式のある高校は81年から減り始めた。85年には日高中津、90年に県立和歌山、2010年に和歌山東が硬式に転換。12年限りで箕島が廃止し、現在は6校だ。

 さらに、15年春季大会で桐蔭と串本古座が県内初の合同チームを結成後、春、夏、秋のどの大会も合同チーム、もしくは出場辞退があった。昨秋は、桐蔭、耐久、串本古座の3校12人で何とか1チームを編成した。

 来年限りで閉鎖となる串本古座高校古座校舎で1人練習を続ける森川凱斗(かいと)選手(2年)は、「8年続けた野球をするには合同しかなく、試合ができ良かった」。

 現状は、各校とも紅白戦はおろか、通常練習もままならない。昨秋、県で優勝した向陽が近畿大会に出場する間、残り5校が初めて集まり、練習と試合に臨んだ。呼びかけた南部の池田哲也監督は「人数が少ない学校がチームを組み、ノックや連携プレーの練習でモチベーションを上げるのが目的」と説明する。

 入学当初から合同チームだった桐蔭の河村優弥選手(3年)は「合同練習は時間が短いため、その時にきちんとできるよう、普段から基礎を意識しました」。同校は今年、1年生が7人入り、春と夏の大会は3年ぶりに単独チームで参加。阿部壮太郎選手(2年)は「合同は他校と交流が増えたのがメリットですが、やはり単独だとコミュニケーションを取りやすい」と話す。

 秋季大会を前に新チームは、桐蔭10人、向陽9人、耐久4人、南部14人、串本古座1人、新宮7人。耐久、串本古座、新宮の3校は合同で出場を予定する。

 ただ、古座校舎が閉鎖すると、5校。さらに合同、廃部の可能性もあり、高野連理事を務める池田監督は「近畿では滋賀が3チームですが、和歌山も3チームになれば、トーナメントでなくリーグ戦も視野に入ります」。

 部員確保に関し、串本古座の森充生監督は「軟式は、硬式に入るのをためらう野球少年の受け皿の面がある」と意義を話す。一方、新宮の上久保輝監督は「うちは県で唯一、全国選手権で優勝経験がある。秋は人数が足りませんが、全国につながる来年夏に照準を合わせており、日本一が目標。勝ち続けることが最大のアピール」と強調する。

 各校とも部存続への思いは同じ。野球を始める子どもたちの多くが最初に親しむ軟式野球、高校での復権はなるか。

写真=耐久と串本古座が合同チームで参加した夏季大会

(ニュース和歌山/2017年8月12日更新)