2020 夏 高校野球 和歌山大会特集

 新型コロナウイルスの影響で代替となった和歌山大会が7月18日㊏に開幕する。43年前、尾藤公監督のもとセンバツを制した箕島高校のエース東裕司さん(61)は、夏の県予選1カ月前に有田市で発生したコレラ騒動で出場が危ぶまれた。練習自粛が続き、「出られないのか?」との思いにさいなまれた。先を見通せない経験を踏まえ、球児の心に寄り添い、エールを送る。

 

 東投手が優勝したのは、1977年春。全5試合で、失点は準々決勝の県岐阜商での3点だけ。準決勝は髙嶋仁監督率いる奈良の智辯学園で、後に近鉄(現オリックス)などで活躍した山口哲治投手に投げ勝ち、決勝の高知、中村戦は、阪急(現オリックス)に進む山沖之彦投手を打ち負かした。

 一方、決勝までの4連投で、前年秋から違和感をおぼえた左肩と肘が悲鳴をあげ、大会後はとても投げられる状態になかった。

 

コレラで危ぶまれた出場〜休校、自粛で自主練に全力

 2カ月ほど腕をギプスで固定し、やっとボールを握れるようになったのもつかの間、6月15日に有田市民2人が真性コレラと判明。翌16日に疑似コレラ患者が死亡し、大騒ぎになった。

 当時、コレラと言えば、「コロリと死ぬ」との認識。野球部員に疑似コレラ患者が出て、学校は休校、練習も自粛、和歌山市の東投手に、保健所から「箕島に行かないで」と連絡があった。

 数日後、大学で野球をしていた兄が帰省し、近くの高校でキャッチボールを開始。間もなく、有田の部員宅にあったバッティング施設を使い、自主練習に力を注いだ。それでも、「夏の予選に出られやんのちゃうか。どうなるんやろ」との懸念は消えなかった。

 幸い、コレラ騒動は7月初旬に収束。ただ、学校での全体練習は1週間ほどしかできなかった。

 「肩の状態もあり、県予選はほぼぶっつけ本番」。にもかかわらず、準決勝まで全て完封。決勝は9回まで0点に抑えたものの、10回に自らの暴投などで失点し、春夏連覇の夢はついえた。

 「(和歌山と奈良で代表を決める)紀和大会で智辯学園とやりたかったですが、出場すら危ぶまれた状況から、紀三井寺のマウンドで投げられた満足感が大きかった」としみじみ語る。

 

引退後も切れぬボールとの縁

 翌年、社会人野球の三菱自動車水島に進む。1年目はリハビリに専念し、2年目はフル回転。これがたたり、再び肩を痛めた。プロの夢をあきらめ、外野手への転向を経て10年間で引退した。

 その後、和歌山に戻り高校野球の解説や高校でのピッチングコーチを経験。30代後半からソフトボールチームに参加し、昨年はねんりんピック出場と、引退後もボールとの縁が切れることは無かった。

 大会にのぞむ球児たちには、「甲子園という目標が無くなったいま、『納得して』とは言えません。ただ、この夏が君たちにとって人生最後の勝負じゃない。最初の勝負。人は大きなきっかけで頑張れる。この経験で、さらに大きな人間に」と期待を込めた。

写真=ねんりんピックに出場した「いきいき和歌山」チームのユニフォームを身につける

 

東 裕司(あずま・ひろし)

 高松小、西和中から、尾藤監督の誘いで箕島高校へ進む。定時制に通い、学校と勤務する自動車工場の往復20キロを毎日走り、足腰を鍛えた。1977年のセンバツで優勝。三菱自動車水島で10年間、選手生活を送る。昨年、和歌山で開かれたねんりんピックに、いきいき和歌山チームの一員として出場した。

(ニュース和歌山/2020年7月18日更新)