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 東日本大震災からまもなく4年。震災直後、福島県から和歌山市に避難してきた佐藤勉さん(70)、和子さん(64)夫妻宅には毎週月曜、紀の川市で農業を営む79歳男性から新鮮な野菜や果物が欠かさず届けられる。勉さんは「この3月2日で181回です。4年間も続けてくださるとは、ただただ感謝です」。故郷への思いを胸に和歌山で暮らす佐藤さん宅では、心をいやしてくれる栄養たっぷりの野菜料理が、今日も食卓に上がる。

 「おはよう。今日も送ったんで、食べてよ」。毎週月曜の朝、男性Aさんからの電話。いつもの場所へ行くと、減農薬、有機栽培で育てられたニンジンや大根、白菜にネギ、ミカン、リンゴなど旬の野菜と果物が詰められた段ボール箱が用意されている。「いつも10種類以上入れてくださっている。夫婦2人でこれだけいただけると、店で買う必要がありません」と勉さん。和子さんは「新鮮ですから、野菜の甘みが違います。季節のものをいただき、本当にありがたい」。

 震災時、佐藤さん夫妻は福島第一原子力発電所がある福島県大熊町の隣町、富岡町で暮らしていた。3月12日、原発で水素爆発が発生し、娘夫婦がいる和歌山市へ避難した。そのことが紹介された新聞記事を見て、勉さんに電話を掛けてきたのがAさんだった。勉さんは「『野菜を送るんで、食べてください』と。玉ねぎにニンニク、じゃがいも…。全く知らない土地で本当にうれしかったです」。

 福島で長年、剣道の指導をしていた勉さんは、2011年秋、和歌山市和歌浦西の県立武道館でママさん剣道クラブ「富徳館」を立ち上げた。発足からしばらくし、教え子たちの試合で橋本市へ。会場で偶然出会った紀の川市の選手に、「紀の川市のAさんに大変お世話になっている」と話すと、「私たち、Aさんに以前、剣道を教えてもらっていたんです」とのこと。「驚きました。後から考えると、新聞記事に私が剣道をしていたこともふれられていたので、電話をくれたんだと分かりました」

 Aさんは「震災直後、福島の状況を報道で見て、私にできるのは新鮮な野菜を食べてもらうことだと感じました。私もかつて40年ほど子どもたちを教えていましたので、連絡を取りました」。さらに「最近は原発への関心が薄れているように感じますが、私自身は命ある限り、佐藤さんに野菜を食べていただきたいと思っています」と語る。

 Aさんから野菜が届くと、勉さんは欠かさず礼状を出す。その際に使うのが、親交のある和歌山市の画家、中尾安希さんが和歌浦や和歌山城を描いた絵はがきだ。「するとある時、Aさんが『中尾さんが絵を描く際の素材に』とデッサンによく使われるザクロも送ってくださった。本当に心配りの温かい方です」と目を細める。「剣道には〝交剣知愛〟との言葉がある。漢字の通り、剣を交えて愛を知るとの意味。私とAさんは剣を交えたことはありませんが、10歳で始めて、今年で60年になる剣道がつないでくれたんだと思います」

 2月26日、和歌山で古希を迎えたばかりの勉さんは、剣道が結んだ縁に感謝している。

写真=3月2日も新鮮野菜が届いた

講演「3・11から振り返る剣の道」

 佐藤勉さんが講師を務める地域交流イベント「武道を通しての人と人とのつながり」が3月29日(日)午後1時半、和歌山市和歌浦西の県立武道館で開かれる。演題は「3・11から振り返る剣の道」。また、県総合防災課の中村吉良班長が「防災・減災について考える」と題して話す。こども落語全国大会で受賞経験がある勇気出し亭うな晴くんの落語も。無料。希望者は同館(073・444・6340)。先着70人。

(ニュース和歌山2015年3月7日号掲載)