6月21日 「戦後80年 体験者が語る会」開催

 今から80年前の1945(昭和20)年7月9日深夜、突如始まった和歌山大空襲。108機ものB29が投下した焼夷爆弾によって和歌山市中心部は火の海と化し、1100人以上の尊い命が奪われました。この凄惨な出来事を後世に伝えようと、体験者の音声記録に取り組んでいるのが、同市立博物館元副館長の髙橋克伸さん(71)です。ICレコーダーを手に、たった一人で活動を続けるその想いを聞きました。

聞けるのは今

空襲の犠牲者を悼み、平和を祈る汀公園供養塔の前で

──なぜ音声記録を?

 「和歌山市で生まれ育った人間として、この地で起こった空襲という悲惨な出来事を残しておかなくてはいけないと感じたからです。市立博物館学芸員だった10年前から取り組み始め、約170人の証言を集めました。録音だけでなく、内容を文字起こしし、要約したものも作っています。体験者が高齢化する中、話を聞けるのは今しかないとの思いで、退職後も博物館と協力しながら一人ひとり訪ねています」

──生の声にこだわる理由は?

 「文字の資料は読み手の解釈が加わりますが、音声は言葉の強弱やしゃべる速さ、沈黙などから、話す人の感情や気持ちがありありと伝わってきます。これが『音声の強み』です。録音の際は、自由に思い出すまま語ってもらうようにしており、壮絶な体験に心が揺さぶられることもあります」

──皆さん、どんな風に回想されますか。  

「『戦争は絶対にイヤ』『子どもや孫にこんな苦労はさせたくない』と口をそろえます。『生きているのが不思議』とも。生と死が紙一重だったんですね。だからこそ自ら『この体験を語りたい』『残してほしい』と望んでいる方が多いです。一方で、子ども時代のはずなのに、楽しい話が出てこないことに胸が締め付けられます」

──体験者の話をどう受け止めていますか。

商工会議所屋上から北東方向を撮影した、焼け野原の和歌山。中央やや右寄りの建物は被災した丸正百貨店。(和歌山市立博物館所蔵)

 「空襲警報を聞いて一目散に防空壕へ逃げ込んだ時の恐怖、道に倒れた遺体を目にした時のおびえ、焼け落ちた家を見た時の絶望…。正直言って想像すらできない世界です。でも、ご本人の記憶を一緒にたどる作業を通し、『考えること』が何よりも大事だと気づかされました」

──「考える」とは?

 「単に『和歌山で戦争があった』だけで終わらせるのではなく、一歩踏み込んで、空襲の事実をもとに、戦争と平和について思いを巡らすことです。その考える材料になればと2年に一度、市立博物館の空襲展で、体験者の証言をパネル展示しています。今年も7月8日㊋〜8月17日㊐の日程で行います」

広く知ってもらう

──体験者の話を聞いてみたいです。

 「実は当事者たちから『戦後80年の節目に、空襲のことを広く一般に知ってもらいたい』と要望があり、『体験者が語る和歌山大空襲』を企画しました(下枠内参照)。空襲の様子や、戦中戦後をどのように生きたか、直接話が聞ける貴重な機会です。多くの方にぜひ、来ていただきたいです」

──まもなく7月9日がやってきます。

 「和歌山大空襲で、748人が命を落とした汀公園には、犠牲者を悼んで供養塔が建立されています。戦後世代の人は、年に一度、この時期だけでいいのでここへ足を運び、戦争とは何だったのか、また、平和を守るにはどうすればいいか、自身に問いかけてもらえれば有り難いです」

──今後は。

 「体験者の記憶を記録し、後世に継承するのが私の役割。とくに中高生に伝えていきたいです。そして、今ある音声と文字を次世代がデジタル化し、さらに未来へつないでいく。そんなバトンの受け渡しができることを願っています」

戦後80年 体験者が語る和歌山大空襲

6月21日㊏午後2時〜3時半、和歌山市手平のビッグ愛9階。空襲体験者3人が当時の記憶を語る。資料代100円。問い合わせはメール kataru0709@gaia.eonet.ne.jp

(ニュース和歌山/2025年6月14日更新)