長期休暇をもらい、11月に沖縄の離島、八重山諸島を旅してきました。石垣島から入り、西表島、小浜島、竹富島を小型フェリーで巡りました。4島の中でも、子どものころから憧れていたのが竹富島。人口約350人、周囲9㌔の小さな島で、ガイドブックやツアーパンフレットでは「沖縄の原風景が残る島」とうたわれ、期待に胸をふくらませてフェリーを降りました。

 赤瓦の平屋建て民家とサンゴの石垣、白砂が敷き詰められた小道。ハイビスカスを耳に付けた水牛車が集落をゆったりと行き交っていました。絵に描いたような、あまりにも美しい光景に、「観光用につくられた景観なのでは?」と皮肉な疑念を持ってしまいました。

 思い違いに気づいたのは、その日の夜でした。民宿でくつろいでいると、どこからか三線の音色が。音がする方へと街灯の消えた小道を自転車で走りました。三線が鳴っていたのは、集落の集会所。中学生ぐらいの女の子や主婦、年配の女性20人ほどが集まり、踊りを練習していました。別の集会所へ走ると、今度は若い男性が集まり、「こうでもない、ああでもない」と振り付けを議論。観光客が出歩かない夜、島中の集会所で神に捧げる伝統舞踊の練習が行われていたのです。そこには、島民ではない一観光客が軽々しく近づけないほどの崇高な雰囲気が漂っていました。

 島の文化保全に取り組むNPOたきどぅんのメンバーが「島民には共有する理念『竹富島憲章』があり、景観や芸能を受け継ぐのは小さいころから当たり前のことなんです」と話していました。憲章は、本土復帰後に相次いだ県外企業の進出から島を守るため、1986年に島民たちが制定したものです。島の土地を売らない、島を汚さない、島の振興に民俗芸能を生かすといった5原則が書かれています。新たなルールの設定や、物事の選択を迫られた時、この憲章は島民の"羅針盤"にもなっています。「憲章こそ島の財産」とも教えてくれました。

 和歌山では白砂の浜辺が工場に、山や田畑が宅地へ変わり、市街地では新たな計画が進んでいます。それでも、何とか昔の姿を留めている町並みや自然が一部には残っています。5年先、10年先の利益を元にした計画ではなく、引き継いでくれた祖先、50年、100年先を生きる子や孫と共有できる羅針盤こそ私たちに必要な気がします。 (秦野)

(2016年12月10日号掲載)