吉宗は捨て子?

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 扇ノ芝は、和歌山城の南西にある三角形の土地で、その形が扇子を広げたようだったことから扇ノ芝と呼ばれました。現在、その土地は約半分が国道などの道路敷に、残り半分が商業地や住宅地になっています。

 『南紀徳川史』によると、吉宗は誕生してすぐに扇ノ芝に捨てられ、岡地区の産土神(うぶすながみ)、刺田比古(さすたひこ)神社の宮司岡本周防守が拾い親となり、五歳まで家臣の加納家で育てられたといいます。それは本当かどうか確かではありませんが、和歌山に捨て子の風習があったことがわかります。

 「捨て子なんて…」と思うかもしれませんが、親の厄年に生まれた子や体の弱い子が誕生した時、形式的にいったん捨てて、すぐ拾うと丈夫に育つという言い伝えがありました。だから、本当に捨てたわけではないのです。

 刺田比古神社は、大伴氏の祖神をお祀りする延喜式(平安時代の法令集)にみえる由緒ある神社で、「岡の宮」の名で知られています。吉宗は同社を崇め、太刀や神馬を奉納し、社領を寄進しました。同社には捨て子をほうきで箕に掃き入れる仕草をする儀式が伝わっています。(和歌山市立博物館館長 額田雅裕)

写真=刺田比古神社(和歌山市片岡町)

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 徳川吉宗の将軍就任三百年にあたり、ゆかりの場所、文化財を毎週土曜号で紹介します。

(ニュース和歌山2016年9月17日号掲載)