市民からの熱い期待を集め、3月に新会社として再スタートした総本家駿河屋。製造部部長の山本隆幸さん(55)は、旧駿河屋時代から37年間、製造の現場に携わってきた和菓子一筋の職人だ。室町時代から続く老舗の味を守りながらも、再開とともに菓子づくりへいっそう心を込める山本さんに、駿河屋の和菓子にかける思いを聞いた。 (文中敬称略)

生きる職人の知恵

——なじみ深い菓子が店頭に並びます。

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山本 以前の500品目から、再開後はお客様に人気のある30品目にしぼりました。伝統の羊羹(ようかん)や本ノ字饅頭(まんじゅう)、和歌浦せんべいの和菓子に、プリン、ブッセといった洋菓子を出しています。ほとんどを和歌山市小倉にある工場で職人4人が中心になって作っています。

——特に人気は。

山本 やはり本ノ字饅頭ですね。早朝作った蒸したてを店に並べ、昼には完売しています。北海道産小豆のこしあんを、もち米と小麦粉、砂糖で仕上げた薄皮で包んだシンプルな饅頭。膨張剤の代わりに天然の米こうじを使い、3段階に分けて1日かけてじっくりと発酵させています。余分な物が入っていないため体に優しいです。江戸時代から製法は変えていません。昔は砂糖が貴重だったので、甘さ控えめ。砂糖が少なくてもおいしさを引き出そうとした、江戸時代の職人さんの知恵が生きています。

もう一度届けたい

——和菓子職人になったのは。

山本 子どものころから料理が好きで、パン職人にあこがれていました。高校生の時に駿河屋の募集を知り、調理に携われるなら和菓子の世界に挑戦しようと応募しました。入社後5年間は京都の伏見店で修業し、和歌山に戻ってから商品企画や開発、製造を経験、工場長もしました。北海道や九州の物産展など全国を回り、実演販売したこともあります。18歳から和菓子一筋です。

——和菓子職人を続けてこられたのは。

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山本 「駿河屋の菓子が好き」。この一言に尽きます。旧駿河屋の倒産で一時休業した時期がありましたが、それでも声がかかった時に戻ろうと思ったのは、この菓子をもう一度お客様に届けたかったから。ここは粉や砂糖、小豆など高くても良い物を選び、昔から素材に妥協していません。3月に駿河町本舗が再オープンした時、店の前に信じられないほどたくさんの方が並んでくれ、「駿河屋の味じゃないとあかん」「待っていました」との声が聞こえてきました。再開後しばらく早朝4時から夜中まで働きましたが、「この味を待ってくれる人がいる」と思うと全く苦にならなかった。体が続く限り、駿河屋の職人でいるつもりです。

次世代へ文化を

——山本さんを筆頭に少数精鋭で作っています。

山本 以前は大規模生産の分業で、職人の力が見えていませんでした。今は少人数で手作りです。職人一人ひとりの技が菓子に生きるようになりました。羊羹専門の職人は熱い鍋に毎日つきっきりで煮立てていますし、饅頭専門の職人は、よりうまいものを作ろうと発酵具合の研究を日々重ねています。1から10まで自分で手掛けられるようになり、それがお客様にダイレクトに届く。やりがいを感じます。

——今後はどのような菓子づくりを。

山本 近所の子どもが母親の手をひっぱって、みかさを買いに来てくれるような地域に愛される店になり、いつか昔の仲間を呼び戻したい。駿河屋のみんなで、駿河屋を残していくのでなく、和菓子文化を次世代へ伝えられる、そんな和菓子を作っていければ。

【総本家駿河屋】
駿河町本舗
=和歌山市駿河町12、☎073・431・3411
高松店=同市東高松2— 1 — 20、☎同422・0584。
両店とも午前9時〜午後6時。日曜定休。


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【読者プレゼント】初代紀州藩主、徳川頼宣の命で仕上げ、歴代藩主が参勤交代の際、江戸へ持参した由緒ある本ノ字饅頭。1箱(10個入り)引換券を8人にプレゼント。応募方法は2015年6月10日号3面参照。

(ニュース和歌山2015年6月10日号掲載)