見慣れた地名でも、改めて考えると、「あれ?」と思うことはありますね。今回は海南市の60代男性から届いた「和歌山市の宮前地区には神社がありませんが、なぜ宮前というの?」を調べました。

 地元の人に聞くと、地区内に神社はあるとのこと。ただ、地区名の由来だと教えてくれた神社は、宮前エリアにありません。どういうことでしょう。

 「その答えは中世にあります」と和歌山市立博物館の元館長、額田雅裕さんが説明してくれたのは…。

 


 

日前宮の前にあるから

 「和歌山市の宮前地区には神社がありませんが、なぜ宮前というの?」。地元の人いわく、「日前宮の前にあるから」とのこと。調べると、宮前の地名が出てくるのは、市制町村制が導入された明治22(1889)年です。手平、杭ノ瀬、南出島、中島、新中島の5村が合わさり、「宮前村」となりました。

 しかし「前」というには少し離れているような…。市立博物館の額田雅裕さんは「日前宮があるのは宮村(今の宮地区)です。参道のある南側が正面、『前』となります。神前という地名がすでにあったので、それに対抗して、宮村の前にある宮前村となったのでしょう。宮北地区の『宮』も日前宮です」。

 稲作が中心だった中世、紀の川の水を水田へ送る宮井用水を管理していた日前宮の力は強く、2006年に和歌山大学の海津一朗教授らがまとめた『中世日前宮領の研究』には、紀の川南側から亀の川北側、岩橋から和歌川までが日前宮の荘園だったと示されています。額田さんは「現在の安原や内原地区まで影響があり、この広いエリアで考えると、宮“前”と呼んでいいかもしれませんね」と話しています。

(ニュース和歌山/2021年7月10日更新)