伏虎中学校跡地に和歌山市民会館と県立医大薬学部が計画され、南海和歌山市駅ビルの建て替え工事が進もうとする今、和歌山の市街地は転換期を迎えています。今回は新春特別インタビューとして、和歌山大学経済学部出身でフリーアナウンサーの川田裕美さん(33)に話を聞きました。昨秋、和歌山市の観光発信人に着任した川田さん。学生時代はぶらくり丁で中心市街地活性化に励みました。その活動、和歌山への愛情を尋ねました。 (文中敬称略)

市街地でカフェ

──和歌山大学時代、力を入れたのは。

川田 ゼミ活動です。まちづくりについて研究する経済学部の足立基浩先生のもと、地域の情報を発信するインターネットラジオ局を立ち上げ、中心市街地の活性化に向けたオープンカフェ「With」も始めました。

──カフェではどんなことを。

川田 京橋に店を構え、コーヒーやスイーツを提供しました。初めてでうまくいくか不安はありましたが、市役所の職員さんや地元商店主の方が応援してくれて、「学生の若い力でまちを盛り上げよう」と勇気づけられました。「これ使って」と店の商品を持ってきてくれたり、温かい飲み物を用意してくれたりと、まちの人の優しさや故郷への熱意にふれました。

──今も後輩がカフェを続けています。

川田 カフェの取り組みはまちの活性化だけが成果でなく、そこで生まれる人のつながりや学び合いが大切だと思います。地元に愛情のある人なら学生に限らず、だれでも参加できるのがカフェの伝統であり良いところ。まちの姿が変わろうとする今、新しい人をどんどん巻き込んで、活性化につなげてほしいですね。

現場主義培う

──アナウンサーを志したのは。

川田 2、3歳のころから音読が好きで、学校や家でよくしました。アナウンサーの仕事にあこがれていたけれど、なろうと思う自信を持てずにいたところ、足立先生や先輩が「挑戦すること自体に意味がある」と背中を押してくれました。和大に入っていなければ、今の私はなかったです。

──学生時代の経験はどう生きていますか。

川田 2年の時に加わったインターネットラジオの活動が大きいです。自分たちで番組を考え、まちに飛び込んで取材しました。商店街の靴店、お茶屋さん、美容室などで店の歴史や職人さんのこだわりを聞きました。本やインターネットを見て分かったつもりになっていたけれど、話を直接聞くと知らなかったまちの魅力がたくさんあり、現場へ足を運ぶことの大切さを学びました。ラジオで話すのも緊張しましたが、今の仕事を本気で目指すきっかけでした。

第二の故郷

──昨秋、和歌山市の観光発信人になりました。

川田 小さいころから毎年夏になると、家族で和歌浦の旅館へ来ていました。蓬莱岩と海岸の美しい景色が今も心に残っています。東京で暮らし始めてからも、大阪での仕事は多く、実家の泉大津へ帰った時に和歌山へも足を伸ばします。生活拠点は移りましたが、自分の中で和歌山との距離感は変わっていません。

──オススメの場所は。

川田 雑賀崎のオーシャンビューが楽しめるカフェと加太の温泉旅館がお気に入り。先日、全編和歌山市で撮影された映画『ちょき』を見て、学生時代に行ったじゃんじゃん横丁が懐かしかった。昭和の香りが感じられる風景は安心感があって、和歌山のまちが持つ味わいというか、歴史が魅力だと感じます。

──今後は。

川田 和歌山の人は自ら発信するのが苦手で、良い意味で謙虚です。東京へ出た今、それを強く感じます。和歌山を知らない人たちに魅力をどう伝えるかをこれから考えていきたいし、できるだけ和歌山のイベントにも参加したい。第二の故郷に少しでも力になれればと思っています。

 川田裕美(かわたひろみ)…1983年6月22日、大阪府泉大津市出身。和歌山大学経済学部卒。読売テレビアナウンサー時代は「情報ライブ ミヤネ屋」などに出演。その後、フリーとなり、現在は「1周回って知らない話」(日本テレビ)、「好きか嫌いか言う時間」(TBS)、「胸いっぱいサミット!」(関西テレビ)、「ピーチCAFE」(読売テレビ)、「FIELD OF DREAMS」(TOKYO FM)に出演中。

(2017年1月3日号掲載)