和歌浦の隆盛再確認

 明治から大正にかけて和歌浦の隆盛を支えた旅館、あしべ屋。現存する妹背別荘で障壁画の断片が多数発見され、皇室や寺院の美術工芸を手掛けた近代の日本画家、梅戸在貞の作品と確認された。あしべ屋妹背別荘は近代の木造建築として往年の風情を保ち、最近は季節の催し、コンサートに使われる。保存活用を模索する館主の西本直子さんは「元の状態に触れられる形を探りたい」と話している。

 あしべ屋は、徳川頼宣が開いた茶屋が始まり。妹背山と岸をつなぐ三断橋のたもとにあり、明治に料理旅館に転じた。その名は全国に知られ、1901年に南方熊楠が旧友孫文と旅館で再会、11年に夏目漱石が和歌山市を訪問した時も宿泊を予定した。当時は本館、別館、妹背別荘と3棟あったが、25年に廃業。妹背別荘だけが残る。

 その別荘には3間合わせ45畳となる奥座敷がある。うち西の間に残る床の間の障壁画が、これまで襖絵落款から梅戸在貞の作品と判明した。東の間の障壁はすべて外されていたが、今春に屋根裏の収納から、画の断片が多数見つかった。

 在貞は、江戸時代に京都を拠点に数々の障壁画を手掛けた原派の流れをくむ画家で、代表作は、大正天皇即位時に描いた麒麟鳳凰図。大徳寺など京都の寺社に絵を残している。

 見つかった作品は、金泥をしいた上に金砂子や金箔、銀箔をちらして濃淡をつけ、山水を鮮やかに表現している。

 西の間より大きく描かれており、12月5日に調査した県立近代美術館の藤本真名美学芸員は「障子を開くと、外から日の光が入り、絵が光るように配置され、当時はきれいに見えたと思います。高貴な人を迎える建物になるよう図ったのがうかがえます」。奥村一郎学芸員は「1922年に皇太子だった昭和天皇が和歌浦に来ており、そのタイミングに合わせ作ったのでは」と推論。「建物ともども貴重」と語る。

 このほか、障壁画の裏紙に当時のあしべ屋の帳簿が使われているのが分かった。和歌山大学の吉村旭輝准教授は「どんな客が来て、どんな食べ物を出していたのかが分かる。当時の和歌浦の人の動きがみえます」。

 活用は模索中だが、西本さんは「あきらめていた絵が出てきた。復元は難しくてもデジタル化するなど検討したい」とし、「歴史的な資料はそろってきた。館は滞在できる博物館のようにするのが理想で、和歌浦のものとして守っていける形を考えてゆければ」と望んでいる。

写真上=和歌山県立近代美術館の学芸員が調査、同下=床の間の障壁画

(ニュース和歌山/2017年12月16日更新)