和歌山大学硬式野球部を学生コーチとして4年間支えた和歌山市の楠岡毅さんが来春、広島東洋カープに球団職員として〝入団〟することになった。同部が所属する近畿学生野球連盟の学生委員長も務めており、裏方として仲間や他大学の選手を陰からサポートしてきた経験をプロの世界で生かす。「カープは市民に愛されている球団。地域の方とふれあい、また、広島以外でカープが好きな人を増やしたい」と目を輝かせる。

和歌山大学硬式野球部 学生コーチ 楠岡毅さん〜広島カープ球団職員に内定

 野球を始めたのは浜宮小学校1年の時。「小学生のころの夢はプロ野球選手。内野手でしたが、沢村賞を獲った前田健太投手にあこがれ、それがきっかけで広島ファンになりました」。明和中学校野球部では主将を務め、チームを引っ張った。

 桐蔭高校1年の3月には、21世紀枠で春の選抜高校野球大会に出場し、甲子園の土を踏んだ。9回表からショートの守備についたが、2つのエラー…。「人生で一番苦しい時期で、『選手はもういいかな』と思う一方、以前から仲間をサポートしたり、審判をしたりするのが好きだったので、裏方が合っているように考え始めました」

 進学した和大では迷わず硬式野球部へ。当初から選手ではなく、副務兼学生コーチとして、〝目標「日本一」、目的「人間形成」〟を掲げるチームを支え続けた。練習時はバッティングピッチャーや打撃練習のトス上げを務める。また、ユニフォームのボタンは上まできっちりとめる、監督の話を聞く時はかかとをそろえるなど、部員を時に厳しく指導してきた。「みんなからは風紀委員長と呼ばれました。一つ上の先輩には〝風紀〟ではなく、〝風鬼〟と言われましたけど」と笑う。

 頑張りを見守ってきた大原弘監督は「4年生にとって最後となる秋のリーグ戦。コーチとしてベンチに入らないかと聞くと、『他の4年生を入れてあげてください』と断ってきた。4年間、裏方の仕事に誇りを持ってやってくれた彼らしいと思いました」と目を細める。

 1年秋からは近畿学生野球連盟の委員も務め、3年秋には学生委員長に。春と秋に行われるリーグ戦の日程編成、情報発信のためのパンフレット作成やホームページの管理、試合時には記録の集計、スコアボードの操作と忙しく動いてきた。こうした中、プロ球団の通訳や職員に話を聞く機会に恵まれ、就職先として球団職員を思い描くように。3球団を受け、今年6月、カープから内定の連絡が入った。

 「自分は縁とタイミングに恵まれていました」と楠岡さん。「高1で甲子園、大学1年で全日本大学野球選手権を経験し、近畿学生野球連盟の学生委員長もさせてもらった。全日本選手権では全国から集まった他連盟の委員と友人になれ、刺激を受けた。こういう経験があって、内定をいただけたと思います」

 プロ野球界での活躍を周囲も応援。同学年のチームメート、高向遼平さんは「テレビには映らないスタッフの仕事について詳しく分かりませんが、思いやりがあり、周りに目配りできる彼なら活躍してくれると確信しています」。大原監督は「プロを目指してきても、ほとんどの選手はどこかで現実を受け入れないといけない。楠岡はその人間性を認められ、球団を支える職業に就けることになった。部の後輩や和歌山で野球をしている子どもたちにとって、あこがれの存在になってくれれば」と願っている。

写真=バッティング練習でトスを上げる楠岡さん(左)

(ニュース和歌山/2020年10月10日更新)