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 戦時中、満州や東南アジア各地で使われた現金や預金通帳。終戦で帰国する際、税関に預けられたこれらの返還が進んでいない。このことを和歌山市秋月の宮小学校6年、西山波留くん(写真左)が昨年の夏休みに自由研究で調べ、現状を広く知ってほしいと願っている。西山くんは「調べる中で、家族が大変な思いをして日本へ帰還したことを知りました。戦後70年を迎えた今年、当時を知る人が少なくなっている。返還されることを知って、家族や平和を考える機会を持ってほしい」と望んでいる。

 「おじいちゃんはもう少しで中国残留孤児になるところだった」。小5の夏、母親から聞き、満州生まれの祖父、山口幸也さん(73、同右)がどのように帰国したのかを調べた。当時4歳だった山口さんや曾祖父、山口村太さん(故人)の義理の弟、小林宏さん(92)に聞き、村太さんがシベリアへ連行される列車から命がけで飛び降り、家族を連れて帰国したことが分かった。

 村太さんが引き揚げる際、税関に金を預けたことを、幸也さんから教わり、小6の夏に返還請求について調査。大阪税関に問い合わせると、満州で預けたことが判明し、帰港地や上陸日、預けた日などを確かめ、横浜に保管されていた通帳を返してもらった。通帳には計8706円の残高が記載されて、当時のバス運賃から現在の金額に換算すると914万円。「終戦間際までこつこつと貯金し、家族思いの人だったと思う」と西山くん。

 さらに深く知ろうと、全国の税関に手紙や電話で尋ねたところ、約44万人分の財産を預かり、このうち17万人しか返還できておらず、今も各税関の職員が虫干しをしている現状を知った。また、GHQが過度な通貨流入によるインフレを防ごうと一定額以上の財産の持ち込みを規制した背景や、門司税関は昭和40年代に引き揚げ者にハガキを送ったため返還率が高いことも分かった。

 返還者が少ない状況に疑問を抱き、和歌山でどのような広報をしているかを調べると、県の広報紙『県民の友』で発見。しかし、記事が小さく、気付かれにくい点に課題を感じた。西山くんは「満州国が無くなり、返還されたお金は価値が無くなっているけれど、曾祖父の苦労や優しさを知れ、それ以上の価値があったと思う」。幸也さんは「父は戦争の経験をあまり語らず、私も断片的にしか知らなかった。それらを孫が調べ、結びつけてくれた。この研究は宝物です」と目を細めている。

 返還請求については和歌山税関支署(073・428・3882)。

(ニュース和歌山2015年3月7日号掲載)