人間における樹木的成長。先日、古今東西の名著を紹介していくNHKの「100分de名著」という番組で、この言葉に触れて感銘を受けました。キリスト教思想家で文学者の内村鑑三(1861〜1930)の著書『後世への最大遺物』(岩波文庫)から、批評家の若松英輔さんがドイツの文豪、ゲーテの言葉をふまえて展開しました。

 『後世への最大遺物』は内村が、「人が後世に残すことができるものは何か」を問うた短い著作です。内村は、金銭、そして事業と世俗的なものも残せるものとして否定せず、肯定します。そのうえでだれもが残せるものとして「勇ましい高尚なる生涯」をあげます。「(この世は)失望の世の中にあらずして希望の世の中であると信ずることである。この世は悲嘆の世の中にあらずして歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行し、その生涯を世の中への賜物としてこの世を去るということであります」

 そして続けます。こういう心がけで生きたならば、私たちの生涯は50年、60年ではなく、だんだんと芽をふき、枝を生じる。そこにはいずれ鳥が来て、種はさらに広がる。目には見えなくてもその生涯が残したものはどこかで広がる。その恵みの実を得るのは、後世のだれかであって、木である自分は何をしたかなどということは分からないまま過ぎてゆく。それでよい、だから素晴らしいと言います。自己実現の考え方とは違い、どこかのだれかが得る恵みを希望として、一つひとつの行いを丁寧になすことが、いかに大切で奥深いか、考えさせられます。

 今、少子化対策から子育て支援が課題になっています。具体的な支援が分かり、安心できれば、お母さんは2人目、3人目を考えると聞きます。施策はむろん、支えの手が一つあれば、新しい命が生まれてくるのです。しかし、この3月、目にした3・11から5年目の報道や特集で伝えられた現状はどうでしょう。終わりの見えない福島第一原発、汚染された獣が増える森、暮らしを立て直せない高齢の被災者。未だはっきりとした復興の工程が示されず、時間ばかりが過ぎています。

 まだ見ぬ後世のだれか。それを後回しにし、今を最優先させる考えが後に動かしがたい弊害を生むと思えてなりません。まだ見ぬ後世のだれかを守る。その想像力が今ほど求められている時はないと思います。 (髙垣)

(ニュース和歌山2016年3月26日号掲載)