4月に発生した熊本地震は、前例のない大きな前震と本震に加え、今もまだ余震が頻発。そんな中、多数のボランティアが支援を続けています。

 市民ボランティアは阪神淡路大震災をきっかけに定着しました。当時、神戸に集結した人たちは復興への大きな力となった反面、受け入れ体制が整っていない避難所も多く、混乱する現場が浮き彫りになりました。

 その後、自然災害が起きるたびに体制は整備され、ボランティア側にも「状況を確認してから行かないと、かえって混乱を招いてしまう」との意識が生まれたと思います。

 今回は各自治体の社会福祉協議会がボランティアセンターを開設、ホームページで必要人数や活動内容を発信しています。

 ただ、被災地では、行政がすべての状況をすぐに把握できる訳ではありません。避難所に指定されていない場所に逃げ込んだ人も大勢いますが、どうしても支援は手薄。和歌山市でコミュニティランチ和(なごみ)を運営する大江隆之さんは、九州にいる知人のネットワークでそんな避難所を探し出し、地震から2週間後に5人で炊き出しに向かいました。

 その際、注意したのは、被災地への配慮。渋滞を避けるため九州へは四国からフェリーで渡り、炊き出しは持参したペットボトルの水を使用、調理クズや残飯の持ち帰りを徹底しました。「自己完結型の支援でないと、被災地に迷惑をかけてしまう」との思いからです。

 筆者も阪神淡路大震災時にボランティア活動を経験しましたが、支援衣服を仕分けていると、汚れた服、破れた服が次々出てきました。送った人は善意のつもりでしょうが、単にゴミが増えただけ。熊本でも、炊き出し後の残飯が放置され、異臭を放つところがあったそうです。

 地震から1ヵ月。支援の内容は刻々と変化しています。大江さんは「ニーズをいかにくみ取るかが大切」ときっぱり。現地で被災者と触れ合う中で、「足りないもの、必要なものが見えてきました」。

 大災害が発生するたび、「他人事ではない」と思い知らされます。それでも、いつの間にか記憶が風化しているのも実状。自己満足ではなく、本当に何が求められているのかを考え行動する。そうすることで遠く離れた場所にいても、被災者の気持ちに寄り添い、記憶の風化を防ぐこともできるのです。 (小倉)

(ニュース和歌山2016年5月14日号掲載)