10月は、世界中で乳がん撲滅のピンクリボンキャンペーンが行われます。私の住む紀の川市は、世界で初めて全身麻酔による乳がんの摘出手術に成功した医聖・華岡青洲生誕の地。啓発活動に熱心で、高い乳がん検診受診率を誇っています。

 同市のピンクリボンキャンペーンソング『紀の川のほとりで』で私はCDデビューしました。そのご縁から、名曲『我が名は青洲』と巡り合いました。

 旧日置川町出身の作詞家、三倉ひさお先生が、青洲の志を歌詞に込めてこの歌を書き上げたのは30年も前のこと。三倉先生は、心酔する人気作曲家の徳久広司先生に曲作りをお願いしますが、「偉人の歌は売れない」と一蹴されます。ところが、10年間お願いを続け、「その熱意に負けた」と書き下ろしてくれたそうです。2014年にCD化する際、徳久先生からいただいた言葉が忘れられません。「普段は、職業作家として、締め切りに追われて作品をつくることが多い中、そうでないプロセスで誕生する歌があってもいいだろう。10年、20年かかって世に出るこの歌はそういう歌だ」

 りんとした志の高さに、哀愁が漂う…、『我が名は青洲』はそう歌います。歌謡として親しまれながら、青洲先生の志を伝えるため、先生の気持ちになりきるのは大変でした。書籍やDVDなどから、改めて生き方を学びました。さらに、歌のイメージを伝える題字を、海南市の書家、山﨑瀟(しょう)さんに書いてもらい、それを眺めながら練習を重ねたのが懐かしく思い出されます。ジャケットの撮影は、青洲の里、春林軒で。もちろん録音も現地で行いました。

 青洲の里では今年から、華岡青洲の偉業を語り継ぐ語り部検定と養成を行っています。私も“歌える語り部”を目指し、第2回学習会&検定に申し込みました。

 『我が名は青洲』。青洲先生を身近に感じ、健康について考える機会になればと思います。

演歌歌手 宮本静(毎月第4土曜担当)

(ニュース和歌山/2022年10月22日更新)