和歌山城の石垣風景は、ごく普通の光景として眺めていると思います。しかし、どこのお城でも同じ風景が見られるわけではありません。西日本においては、総石垣の城は見慣れた光景ですが、東日本では、土の城が多く総石垣の城は、さほど多くないのです。いずれにしても、どんなに堅固に積んだ石垣でも長い歴史の中で、災害などで崩落は起こります。その都度、修復が繰り返されていくのは、どの時代でも同じことですから、築城当時からの石垣と言えるのは、それほど多く存在するものではありません。

 和歌山城においても同じことが言えます。豊臣期に積まれた石垣を浅野期に修復し、浅野期の石垣を徳川期になって修復する。また後世になって、それらの箇所を保存するため、修復します。このような努力が繰り返されて、往時の姿を維持してきたのです。

 1977(昭和52)年度から82年にかけて行われた和歌山城三年坂沿いの石垣修復工事で砂ノ丸高石垣の修復記録を刻んだ碑に「砕石場所 泉南郡阪南町(現阪南市)山中渓」と表記されています。当地方には、多くのアンモナイトの化石を含む和泉砂岩の地層が分布しているそうです。それだけに、砂ノ丸広場から見る石垣のほぼ中程にある石が「アンモナイト化石」ではないかと注目されてきました。この石について、石に詳しい渡瀬敏文さん(元高校教諭)によれば、岩石を割った際、打点を中心に割れ口が放射状に広がり、それが風化して色づき、化石のように見える「偽化石(ぎかせき)」とのことです。

 なお、本物の化石は、御橋廊下の東側(大奥跡側)入口近くに「コダイアマモ化石」が展示されています。また、西ノ丸庭園入口の西側石垣内には、渦巻状の模様石があります。小さいので見落としがちですが、まるで年輪です。これは、結晶片岩(青石)を輪切りにした模様で珍しいものだそうです。このように、石垣の石を見て歩くと不思議な造形を見つけることができます。これも石垣を楽しく見る方法のひとつと思われます。

写真=砂ノ丸の石垣にある「偽化石」

(ニュース和歌山/2018年11月17日更新)