始春の 初子のけふの 玉箒 手に執るからに ゆらく玉の緒 大伴家持

 

 コウヤボウキはキク科の落葉低木で、低く生え広がります。秋、細く硬い枝の先に写真のような白い花を付け、冬の初めごろに綿ぼうしになります。風土記の丘では万葉植物園などで群落が見られます。

 漢字で書くと「高野箒」ですが、どうしてこんな名前になったかという興味深い話があります。昔、高野山を開いた弘法大師は、竹や果樹は利益を得ることのできる植物であることから、仏教の修行の邪魔になるとして、それらの栽培を禁じました。それで高野山では竹ではなく、この茎で箒を作ったのです。

 奈良時代の宮中では正月の初子の日に、天皇からコウヤボウキで作った小さな箒「たまばはき」を賜る行事がありました。その時、大伴家持はこんな歌を詠みました。

 「始春の 初子のけふの 玉箒 手に執るからに ゆらく玉の緒」

 初春の初子の日に賜る玉箒は、手にとるだけで飾りに付いている玉の緒が揺れるなあ、という意味でしょうか。とてもおそれおおく、感動したことでしょう。

 この箒は、「子日目利箒(ねのひのめとぎほうき)」と呼ばれ、現在は正倉院に所蔵されています。また、コウヤボウキで作った箒は、今でも造り酒屋さんの大きな樽の掃除などに使われているそうです。 (和歌山県立紀伊風土記の丘非常勤職員、松下太)

(ニュース和歌山/2019年12月11日更新)