春されば まづ三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後にも逢はむ な恋そ吾妹(わぎも)  柿本人麻呂

 早春の山をかれんに彩るミツマタ。1本の枝が3本に分かれ、それぞれがさらに3本に分かれながら成長するので、「三つ又」の名前が付きました。ジンチョウゲ科の低木で、コウゾ、ガンピと共に和紙の原料として知られています。

 花は白い筒状で小さく、たくさん集まって3㌢ほどの球状で下を向き、葉が開くより先に咲きます。花びらはなく、筒状の萼(がく)の先が4つに分かれて反り返り、内側が黄色く、花びらっぽく見えます。遠くからだと、枯れ木に白や黄色の綿の玉が付いているようにも感じさせます。

 風土記の丘では万葉植物園内に数本、北側の通路沿いにも小さな苗が植えられています。野外では3月、ヤマザクラが咲き、他の花はまだそれほど開花していない時期なので、ミツマタの黄色がよく目立ちます。 
 万葉集には柿本人麻呂のこんな歌が残されています。

 「春されば まづ三枝の 幸くあらば 後にも逢はむ な恋そ吾妹」

 三枝の「さき」は、幸「さき」に掛かっており、春になると真っ先に咲くミツマタのように幸せに暮らしていたら、また後に逢えるはずだから、そんなに苦しまないでおくれ、愛しい人よ…。しばしの別れに愛しい人を慰めているのか、思いやっているのか、そんな複雑な感情が表れている男女の別れの歌です。

 昔の暮らしには今のような暖房器具はありませんから、厳しい冬を必死に耐えながら暖かい春を待ちわびていたことでしょう。そして寒さに負けずに花を咲かせる草や木を眺めては、夢や希望を歌に込め、思い描いていたのかもしれませんね。(和歌山県立紀伊風土記の丘職員、松下太)

(ニュース和歌山/2021年2月20日更新)