今から1700年前から400年間、日本列島では約15万基の古墳が築かれました。古墳は当時の有力者たちの墓で、この古墳が築かれた時代を古墳時代と呼びます。コンビニエンスストアの数が全国5万6千店ですから、いかに古墳が多いのかが分かるでしょう。

 古墳は土を盛って墳丘とし、墳丘には鍵穴のような形をした前方後円形や帆立貝型、シンプルな円形や方形のものまで様々な形があります。最大の古墳は堺市大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の486㍍で、小さいものは10㍍未満と差があります。古墳を築く労働力や、死者とともに納められた豪華な宝物・輸入品などの品々からは、大きな古墳は大王や豪族の墓であり、小さな古墳はムラの有力者だったと考えられています。

 県内には約1700基の古墳があり、約7割が和歌山市に集中します。なぜかというと、当時、同市を中心に「紀氏」と呼ばれる豪族が力を伸ばし、その墓とされる岩橋千塚古墳群には約900基もの古墳が築かれたからです。うち紀伊風土記の丘には約500基の古墳が存在します。高さ5・9㍍を誇る横穴式石室をもつ天王塚古墳、翼を広げた鳥形埴輪など埴輪群像が並べられた大日山35号墳が代表的で、「紀氏」代々の主の墓と考えられています。岩橋千塚以外にも金の勾玉が発見された車駕之古址古墳、馬の冑(かぶと)や甲(よろい)が出た大谷古墳が存在します。これらから国内唯一の品々が見つかり、紀氏の力の大きさが分かります。

 実は私たちの身近には今でも中に入り見学できる古墳が数多くあります。本連載では、開園50年を迎えた紀伊風土記の丘の学芸員が、岩橋千塚古墳群や和歌山の代表的な古墳の魅力をお伝えし、はるか昔の古墳の世界へと招待します。 (和歌山県立紀伊風土記の丘 田中元浩学芸員)

写真=1954年撮影の岩橋千塚古墳群。小型の古墳が密集している。

(ニュース和歌山/2021年9月25日更新)