貴志川中学校周辺の道を歩くと、校庭の南東側に竹林で覆われた丘が見えます。直径42㍍、県内有数の大型円墳で、県指定史跡の丸山古墳です。

 貴志川流域で最も古い5世紀前半に造られた、この地域の首長の墓と思われます。近年、周囲に大きな濠(ほり)がめぐらされていると分かりました。

湯を沸かす窯として使われていた鉄鉢

 墳丘上には、遺体を納めるために造られた箱式石棺があります。結晶片岩の板石を組み合わせた長さ2・0㍍、幅0・8㍍の棺で、側面には副室と呼ばれる小さな石室が付属しています。石棺のふた石は一方に出っ張りがあり、内面は棺本体と組み合う部分に丁寧な掘り込み状の加工が施されています。

 1933年と翌年、開墾や厩肥(きゅうひ)舎建設のために掘削していた際、遺物や石棺が発見され、古墳であると分かりました。棺の内部からは人骨片や土器片、玉類、副室からは鉄刀と甲ちゅう、盗掘跡からは勾玉、また多量の鉄刀や、鉄鉢などが墳丘から出土しました。

 これらの発見の経緯は地元小学校の教員が記録にまとめ、見つかった品とともに当時の宮内省に送られました。そして玉類や鉄鋌(てってい)と呼ばれる鉄板などが、現在の東京国立博物館に収蔵されました。

 一方、円筒埴輪や、鉄刀、鉄鉢、ガラス製小玉の一部は、田辺市の高山寺が所有し、県立博物館で保管されています。このうち鉄鉢は鋳造品で、国内では類例がほとんどなく、中国北東部周辺よりもたらされたものと考えられる貴重な物です。

 この古墳に葬られた人物は、多量の鉄製武器が副葬され、貴重な鉄鉢を持つことから、ヤマト政権や紀伊の首長とかかわりをもち、武人的な性格を帯びていたのかもしれません。(和歌山県立紀伊風土記の丘学芸員、萩野谷正宏。毎月第4土曜掲載)

 『わかやま古墳ガイド』が主要書店で発売中。1760円。

(ニュース和歌山/2022年9月24日更新)