紀州漆器や伝統的な町並みで知られる海南市黒江には、大山(尾山)と呼ばれる標高96㍍の丘陵があります。室山古墳群はこの丘陵上に分布する7基の円墳で、このうち石室が開口する2基の古墳が県の史跡に指定されています。周辺の亀の川流域は、古墳が比較的多く分布するエリアです。

横穴式石室の石梁(上)と石棚(中央)

 江戸時代後期に編さんされた『紀伊続風土記』に「山上に洞穴二箇所あり古墳の跡なるへし」と記されているように、室山古墳群は古くからその存在が知られていました。

 丘陵の東側にある室山1号墳は、6世紀中ごろに築かれた直径20㍍前後の円墳で、岩橋(いわせ)型と呼ばれる横穴式石室を埋葬施設とします。横穴式石室は、古墳の側面に入口があり、死者を葬る玄室と通路であるせん道からなります。県北部では、玄室の奥側に石棚を持ち、扉石で入口を閉じる構造のものが、和歌山市の岩橋千塚古墳群を中心に各地に分布しています。

 室山1号墳の玄室は、長さ3・1㍍、高さ3・0㍍で、厚みのある1枚の石棚と、4本の石梁(いしはり)が設置され、岩橋千塚古墳群の代表的な古墳のひとつである前山A46号墳のものとよく似ています。なかでも石梁は、大きな板状の石を両側の壁の間に架け渡したもので、岩橋千塚古墳群以外では非常にまれです。過去の調査では、玄室とせん道から須恵器が、また石棚から鉄製の矢尻が見つかりました。

 また、山頂に位置する室山2号墳は直径約15㍍の円墳で、1号墳よりもやや古い時期に造られた岩橋型横穴式石室には、やはり石棚と石梁が架けられています。

 石梁を持つ横穴式石室の存在は、亀の川下流域を拠点とする首長が、6世紀に紀の川下流域を拠点とする大豪族、紀氏などの勢力と緊密な関係を持ちながら力を伸ばし、同じ構造の古墳を築いたことを示しているのかもしれません。(県立紀伊風土記の丘学芸員 萩野谷正宏)

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(ニュース和歌山/2022年8月27日更新)