大谷古墳は、和歌山市北部の大谷に所在する国指定史跡の前方後円墳です。1957年12月から翌月にかけて、市の依頼で京都大学が発掘調査を行い、墳長70㍍ほどの前方後円墳が確認されました。後円部の背後では、墳丘のすそをめぐる円筒埴輪の列が見つかっています。

 古墳の主の埋葬施設は後円部中央にある組み合わせ式の家形石棺でした。材質は九州・阿蘇産の溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)とみられ、遠くから船に積んで運ばれてきたことが分かります。

 石棺の周囲には箱に入れた馬具や、馬のためのヨロイ、カブトなどが置かれていました。乗馬用の馬具には金銅製で龍の文様が透かし彫りされた金具や、鈴を付けて飾った道具があり、大陸色の強い優品がそろいます。

 カブトは大陸の壁画古墳に描かれていたものが知られていましたが、発掘調査当時、東アジアで初めて出土した実物資料として有名です。日本では大谷古墳のほか、埼玉県にある埼玉(さきたま)古墳群の将軍山古墳出土品、福岡県船原(ふなばる)古墳出土品の3例しか見つかっていません。そのことから、大谷古墳の被葬者は朝鮮半島で軍事的に活躍した紀氏の将軍で、出土した歯から20~30歳の若者とみられています。この古墳を最後に、紀伊では紀の川南岸にある岩橋千塚古墳群の勢力が優勢となります。

 大谷古墳は丘陵の先端部、標高約50㍍に位置し、眼下の平野部には、古代の港、平井津(ひらいのつ)の前身となる港があったと考えられます。現在、古墳へは、車で粉河加太線の大谷東交差点から北へ団地内の坂道を上り、看板に従って2度左折すると到着します。墳丘に登れるので、古墳の上から遠く海の彼方に思いをはせてはいかがでしょうか。和歌山市立博物館に所蔵されてる出土品もぜひ一度ご覧になってください。(和歌山県立紀伊風土記の丘元学芸課長、丹野拓)

写真=大谷古墳から望む景色

(ニュース和歌山/2022年4月23日更新)