岩橋千塚古墳群の最後の首長墓といえるのが、井辺1号墳です。6世紀末~7世紀初頭の古墳時代末期には、近畿地方の古墳と同様に紀伊でも有力古墳の形は前方後円墳ではなくなり、方墳へと変化します。

 こうした動向の中、南辺36㍍、北辺17㍍、側辺29㍍と県内最大の方墳として井辺1号墳が造られました。同時期にできた近畿の方墳では屈指の規模を持つことから、古墳時代の終末にも依然として紀氏の勢力が強かったことを示しています。

墳丘前面にある段築

 また、古墳時代末期には、古墳の形だけでなく、立地にも変化が認められます。岩橋千塚古墳群の首長墓は、丘陵尾根上にあるのに対し、井辺1号墳は丘陵南斜面の裾部に立地します。

 井辺地区ではこの1号墳を起点とし、西側に2号墳、12号墳などの方墳と小形の円墳が築かれます。訪れるとこれらの立地により、「王家の谷」を思わせるような雰囲気が感じられます。

 埋葬施設は、それまでの古墳と同様に岩橋型横穴式石室です。石室の全長は10・8㍍、玄室は長さ4・1㍍で羽子板形になります。現在は埋め戻され中に入れませんが、石室上部から石棚を確認できます。

 昨年は県教育委員会により発掘調査が行われ、その構造や、段築と呼ばれる段差が確認されました。古墳の南側に基壇と呼ばれる平坦面を設けることで、古墳が壇の上に載ったように大きく見せています。また古墳の前面部分は半分以上を盛土で造り、4段の段築を設けていて、正面から見た時に圧倒的な高さと幅を感じさせる視覚効果があります。現地を訪れると、その大きさに驚くと思います。この古墳は見た目にこだわっていたようです。また背後の山頂には、数世代前の首長墓である大日山35号墳があります。

 古墳の形が変わっても、岩橋千塚古墳群の首長墓として、先代とのつながりを示したかったのかもしれません。

(和歌山県立紀伊風土記の丘学芸員 田中元浩)

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(ニュース和歌山/2022年6月25日更新)