あなたが公園で知人と歓談している様がいきなり新聞に載り、「この方をご存知の方、連絡ください。お知らせしてくれた方には薄謝を、ご本人にはこの写真を差し上げます」とあったらどうか。勝手になんだ、と憤るに違いない▼本紙が「日曜夕刊」を名乗っていた1966年、「パチリ失礼、どなたでしょう」というコーナーでこれが行われていた。お城でお弁当を食べるOL、丸正の屋上で語らう主婦の写真が載り、1週間後に「先週は市内の某さんでした」と記していた▼本紙1月21日号の5000号特集で古い紙面を見直し、みつけた。写真に写る、新聞に載る経験自体が特異で、だれもが喜ぶことであったからだろう。今はありえない▼近年は取材でも写真に写ることへの確認が常識になりつつある。個人情報の保護、意志の尊重は当然なされるべきだ。ただ、それは悪用されるかもという他者への不信感が社会のベースになったことの裏返し。世の中は進んだのか、後退したのか。分からなくなる。(高垣)

(ニュース和歌山より。2017年3月4日更新)