身近な疑問を記者が調べる「和歌山謎解き代行社」。今回は岩出市の中島通隆さんからの「紀の川を挟んで、和歌山市と岩出市の境界が斜めになっているのはどうして?」です。

 たしかに、地図を見ると両市の境は紀の川北岸側と南岸側で3・5㌔ほど離れています。なぜ、このような形になったのでしょうか。

 理由は紀の川南岸にある岩出市の船戸地区にあるようです。歴史をひもとくと、あまり知られていなかった事実がありました。

 


 

キーは小倉村

 「紀の川を挟んで和歌山市と岩出市の境界が斜めなのはどうして?」。『角川日本地名大辞典』を調べると、「昭和31年、山崎および上三毛字船戸が那賀郡岩出町に編入。那賀郡小倉村は9大字となり、同33年に和歌山市の一部に」とあります。山崎とは船戸地区の東隣、貴志川との境にある地域です。小倉地区はかつて那賀郡だったんですね。

 地域の歴史を研究する小倉郵便局の井谷敏通さんによると「船戸は昔から船渡し場としてにぎわっていました。岩出の小学校に通う子がいるほどつながりは深く、住民投票で岩出を選びました」。ちなみに、小倉村の西端は今の和歌山市吐前地区で、岩出市の西端とつなげると、南北に境界がきれいに走ります。

 地図上ではいびつに見える境界も、暮らしに即した線引きで見れば理にかなっています。当時の様子を垣間見る機会になりました。

(ニュース和歌山/2019年7月13日更新)