エレベーターは明光台と呼ばれました。エレベーター降り口から奠供山(てんぐやま)への通路は山に向かい少し開く形の桟橋で、六十畳の広さがあったそうです。

 エレベーターにはエレベーターガールと呼ばれた係員がいたと言われます。髪を結った和装であったといいますから、この中に写る女性の中にいるかもしれません。人物と比べてもエレベーターのかごは窮屈そうに見えます。

 紀国堂=和歌山市卜半町38=店主の溝端佳則さんの古写真を紹介します。

(ニュース和歌山/2019年10月19日更新)