一時的な帰省のつもりが、いつの間にか根が生えた。それが、私が和歌山にUターンした理由です。

 大学は京都へ進学。この後、広告会社に就職して大阪や東京で生活し、約10年ほど地元を離れていました。和歌山に戻ったのは2014年の春です。近年は大学誘致により、全国1位であった県外進学率や比較的高かった県外就職率は改善傾向にありますが、このころはまだ、「大人になったら都心部へ」との考え方が強くあった時代です。「落ち着いたら大阪で転職しよう」と考えており、のちに日本各地のゲストハウスを専門分野とするフリーランスの編集者になるとは、みじんも想像していませんでした。

 しかし、和歌山を知るにつれ、この気持ちは大きく変わっていきました。

 当時は東日本大震災から3年後。死生観が揺さぶられた人たちが、自分らしい生き方や働き方を見つめ直そうと地方へ移住し、起業する動きが全国的に増加していました。和歌山にも、U・Iターンし、個性的な商店を営む人が現れ出しました。

 楽しそうに生きる彼らの姿に触れ、県外流出が予想される次世代や県外に住む同世代に向け、和歌山の今をもっと発信したいとの感情がわき出てきたのです。それは、「ここには何もない」と思い込んでいたかつての自分に手紙を送るような気持ちでした。

 私は昔から、「好きな人たちを応援したい病」があり、人間的な器がそれほど大きくないことから、琴線に触れた狭域の何かに愛情を集中投下するところがあります。それがゲストハウスや和歌山であり、今の仕事や暮らしに至っているわけです。

 新型コロナウイルス禍により、最近はゲストハウス関連の執筆業より、県内のヒト・モノ・コトを紹介するお仕事がぐっと増え、さらに地元の魅力を知る機会が多くなりました。毎月お目にかかるこのコラムでは、身近にあるけれど意外と知らなかった“灯台下暗し”な和歌山暮らしを私なりにお伝えできればと思います。

フリー編集者 前田有佳利(第3土曜担当)

(ニュース和歌山/2021年4月17日更新)