追廻門の南に位置する石垣沿いに「扇の芝」と呼ばれる広場がありました。江戸時代の『紀伊国名所図会』には、その広場に続く馬場で藩士が流鏑馬の練習をする様子が描かれています。こういった馬が走り回る場所が門の近くにあったため、その門を「追廻門」と名がついたと考えられています。また、門前では、藩士の練習を眺める庶民の姿や商人の物売り姿など行き交う人々で、にぎわっていた光景も『紀伊国名所図会』に見られます。

 当門は、徳川頼宣の時代に建てられたもので、現在は「赤門」とも呼ばれています。長い間、白木と思われていましたが、1985年の解体修理で、赤く塗られていた痕跡が見つかり、それから門が赤く塗られるようになりました。

 なぜこの門が赤いのかには、諸説があります。一つは将軍家からの輿入れがあった場合、城門を赤く塗ったという説ですが、赤門を持つ飯田城(長野県)や鹿島城(佐賀県)に、その事実がないということで、断定できる材料に欠くのです。

 もう一つは「裏鬼門」説です。追廻門は、藩主が住む二ノ丸御座所から南西方向の裏鬼門にあたります。それで鬼門除けのために赤く塗ったという説です。現在は、この説が定説となりつつあります。

 いずれにしても、春になると、近辺の桜の花がひさしのように門にさしかかり、その赤い色とのコントラストの美しさは、絵になる写真が撮影できるスポットでもあります。(水島大二・日本城郭史学会委員)

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