さて、蔵ノ丸を北へ歩き、伏虎像前を西へ折れると二ノ丸へ至ります。 かつては、博物館や図書館、野球場もありましたが、今では芝生を敷詰めた広場で、天守が仰げて市役所も見えます。江戸時代の政庁にあたる場所で、現在は桜シーズンはもちろんのこと、四季折々の花が楽しめる豊かな市民の憩いの場となっています。しかし、江戸時代には気安く入れる場所ではありませんでした。虎伏像付近に仕切り塀があり、その通用門をくぐらないと二ノ丸には入れませんでした。 その二ノ丸には、東から「表」「中奥」「大奥」に区画された和歌山城の中枢部である御殿が建っていました。

 表は政務を司る場所で、客人を迎え、藩主が謁見(えっけん)などをするところです。中奥は藩主の公邸、大奥は奥女中の生活の場でした。この東に接する一中門脇に太鼓櫓がありました。おそらく二ノ丸御殿への時を知らせたり、来客などの到来を伝える役目を担っていたと思われます。この表、中奥、大奥の並びは江戸城と同じです。江戸城は、天守と大奥は隣接していますが、和歌山城では、藩主専用の「御橋廊下」が、大奥から西ノ丸に架かっていました。

 二ノ丸の発掘調査の成果として、初代藩主徳川頼宣入城後、浅野時代の堀を埋め立てて、二ノ丸を拡張したとされますが、それを証明する浅野時代の堀の側面石垣が出土しました。また、文政8年(1825)当時の大奥の図にも記された観賞魚用の、底に水がもれないように、漆喰が塗られた池(漆喰池)も出てきました。そこには観賞魚の寝床をこしらえていたことも分かりました。他にも高い技術で造られた排水溝も確認されるなど貴重な遺構が確認されていますが、それらの発掘は一部分にすぎません。二ノ丸広場の下には、建物の基礎など歴史を伝える宝が残っているはずです。

 つまり、土の中には、和歌山城に関する未知の情報がたくさん眠っているのです。(水島大二・日本城郭史学会委員)

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