和歌山城大天守は「3層3階」。外観の屋根の数と内部の床数と同じで、四角の箱を積み重ねた「層塔型天守」と呼ばれる型式です。しかし、天守台が不等辺四角形なので、1層目床の平面は正方形ではありません。その上に正方形の2層、3層目を載せているので、大変複雑な構造になっています。特に小天守に至っては、その複雑部分を隠すように、破風(はふ)などの装飾で、目立たない工夫がなされています。

 破風には、三角形の千鳥破風と入母屋破風、そして、2層目の東西の屋根に見られる唐(から)破風があります。唐破風は曲線のなめらかさに華やかさを漂わせ、千鳥破風・入母屋破風には青海の波文様である「青海波紋」を銅板に打ち出し、鬼瓦の「葵紋」と共に、徳川家の城を強調しています。これらの装飾は、さらに1層目の東西の屋根にも見られます。小さめの千鳥破風が南・北に並んで施されています。正しくは、比翼入母屋破風と呼ばれるもので、全体にどっしりとした安定感を与えています。これらの繊細な技が、天守の複雑さを外観に見せることなく、美しさを引き立てているのです。

 和歌山城天守は、江戸末期の1846年(弘化3)に落雷で焼失しています。その4年後に再建されましたが、その頃、すでに天守建造は幕府から禁止されていました。しかし、特例として旧型なら認められました(復古式天守)。

 幕府から復古式(焼失前の形)で再建許可を得た和歌山城天守ですが、焼失前の外観に、徳川家を強調する装飾(青海波紋など)や小天守に優雅な御殿のような唐破風の玄関を設けるなどさらに優雅で威厳ある「天守」に仕上げました。

 現在の天守は、コンクリート建築ですが、建築界からも「誰もが認める外観の『正しさ』(光井渉著『日本の歴史的建造物』)」として評価が高く、江戸時代の人々も眺めたであろう同様の姿を、現代も虎伏山に見る事ができるのは、和歌山城天守の特徴と言えるのではないでしょうか。(水島大二・日本城郭史学会委員)。