まちなかの景色が大きく変わる気配が漂う2016年。そんな中、半世紀を超えて営み、今にない味ある空間で客を迎え入れる純喫茶がある。ぶらくり丁のヒスイとけやき大通りの珈琲るーむ森永で、街と共につむいできた物語を聞きました。

ヒスイ まばゆく光り続ける城

16010311_hisui 吹き抜けの天井に輝くシャンデリア、大きなステンドグラス、意匠を凝らした木製の柱、静かに流れる軽音楽。どこか異国の雰囲気さえするヒスイは、「和歌山でどこにもないような店をやろうと思ってね」と話すマスター、髙木淳彰(ただあき)さんの思いの結晶だ。

 淳彰さんは現在の場所で「VAN」という平屋の喫茶店を営んでいたが、心斎橋で見た豪華な喫茶店「翡翠(ひすい)」に魅了される。その設計者を探し出し、ヒスイを1964年に造り上げた。

 昭和から平成にかけ、周辺はにぎわいの中心だった。丸正百貨店やぶらくり丁への買い物客、映画を見終えた観客らで広い店は夜中までごった返した。ウエイトレスは2階に住み込み、商品はエレベーターで運んだ。

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 今は淳彰さんが丁寧にサイフォンでコーヒーをいれ、妻の和子さんがボリューム満点の日替わりランチに腕をふるう。デミグラスソースは3日間かけて煮込む本格派。「毎日メニューを考えるのが大変です」と和子さんがほほえむ。淳彰さんはかつてケーキ職人に習い高松に工場を構え、店の1階で売っていたほど。今もショートケーキは自家製にこだわり、コーヒー付きで430円と破格の値段で提供する。

 最近は純喫茶愛好家のブログや本に取り上げられ、「絶対に行くべき名店」と評されることも。商業ビルや空き店舗に入るテナントは次々変わるが、ここはヒスイのためだけに築かれた特別な城。半世紀を経てなお、いっそうまばゆい光を放っている。

 和歌山市中ノ店南ノ丁9。午前9時半〜午後5時。火曜休み。年始は6日から。☎073・422・5241。

 

珈琲るーむ森永 弾むおしゃべり 今日も

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 「森永はキャラメルで有名やったからね。名字じゃないんよ。『珈琲るーむ』って付けたのは私。平仮名なのがいいでしょ」。ママの平川彩栄(あやえ)さんが茶目っ気たっぷりに教えてくれた。

 森永は終戦まもない1947年開業。10年ほどして戦後の復興事業で道路幅が広がり、現在のたたずまいになった。「そのころに大阪の堀江から嫁いでね、ものすごい田舎と思ったわ」。それから休むことなく、夫婦で店に立ち続けている。

 けやき大通りを望む大きな鉄枠の窓は、変わる風景を映すスクリーンの役割を果たしてきた。石けん屋や八百屋、レコード屋、洋品店などが並び、市電の停留所に電車が入ると、慌ててコーヒーを飲み干し、飛び乗る姿もよく見られた。今はビルが建ち並び、車がひっきりなしに流れていく。

 石造りの重厚な壁とカウンター、小さな長方形のテーブルの間に曲線が美しい間仕切り。奥の2席はひっそりと商談やデートに使える特等席で、真っ赤なガラスシェードから漏れる光がどことなく妖艶(ようえん)だ。

 マスターのご主人、寿さんが厨房に立ち、彩栄さんがきびきび運ぶ。さわやかでくつろげる空間にこだわり、70年代後半に流行したインベーダーゲームは1日で撤去したほど。1人客には「雑誌読みますか?」と声をかけ、幼い子連れには「ドアに気をつけてね」と気遣う。「ママ、ママ」と慕われ、おしゃべりを楽しみに何十年と通う客は少なくない。

 昨年からは大阪に住む娘の美和さんも時折、店に立つ。美和さんが「父、母が築いたカラーを大事にしながら、どうしていくか模索しています」と言えば、「お客さんが育ててくれた店、やめるなんてもったいない。好きにやったらいいのよ」と彩栄さん。笑顔は次代に受け継がれている。

 和歌山市美園町2─68。午前8時〜午後5時。土日祝休み。年始は5日から。☎073・422・2420。

(ニュース和歌山2016年1月3日号掲載)