「その日は暑い夜でした。ウーウーウー。10時過ぎにまた空襲警報のサイレンです」
和歌山市の山本喜美子さん(88)は1945年7月9日に1100人超の死者を出した和歌山大空襲で目にしたことを40年にわたり、子どもたちに紙芝居で伝えてきました。
題は『せんそうのおはなし わかやまのくうしゅう』。当時、父の勤務先だった測候所の官舎で暮らしていた山本さん。その夜はいつもの空襲とは違いました。空襲警報が鳴り、遠くから爆撃が近づいてきます。「お城がやられた」。表で声が飛びます。人が逃げ惑う中、町は瞬く間に火の海となり、燃えている家の柱や戸板が目にもとまらぬ速さで水平に飛び、火の粉が吹雪のように舞いました。翌朝、町のあちこちに電信柱が倒れていました。見ると、それは黒こげの遺体でした。子どもをかばう姿勢のまま息絶えている人もいました。空襲の生々しさが伝わります。
この紙芝居を同市の池田香弥さん(67)が次代に引き継ごうとしています。昨夏の朗読会で池田さんは初めて手にし、山本さんから直接手ほどきを受けました。「怖かった、悲しかったに留まらない、『二度と戦争をしてはならない』『日本国憲法を守る』との山本さんの本気を感じます」と池田さんは言います。
戦後世代が戦時をどう語り、聞く側がいかに受け止めるか。大きな課題です。池田さんは和歌山放送のアナウンサー、報道記者として、中国やニューギニアの戦地で生きた人への取材を経験しています。「取材で耳にした様々な方の思いが山本さんの思いと重なる。託されたバトン。昔話でなく、今への問いかけにしたい」と力を込めます。
山本さんは「必ず引き継いでくれる人が現れると思っていました」とほほえみます。かつては政党を問わず、ある世代の政治家までは「戦争は絶対避けねばならない」との認識がありました。それは今や風前の灯火です。そんな現状で聞く、山本さんの一言に私は、平和を望む人々の心、その普遍性への信頼を感じ、はっとさせられました。
紙芝居、最後の一枚に穏やかな鳩の姿が描かれています。先の世代が育てた一線を「時代に合わない」と譲るのでしょうか。「その日」に立ち返り、私たちがかみしめるのは何か。そこを忘れた新しい時代などないように思えます。 (髙垣善信・本紙主筆)
(ニュース和歌山/2019年7月6日更新)