明治末期、中央に写る米栄旅館は当地きっての料理旅館でした。

 漁師町の一角ですので、旅館前の広場や斜面は船揚げ場となっており、網干場にもなっていました。旅館があった場所及びその周辺は当時のおもかげを残すものはほとんどありません。

 小さく写った鳥居から石段を上がったところ、土塀と松の見えるところが今もこの地に鎮座する蛭子社です。森田庄兵衛による新和歌浦開発でトンネルの開削・道路敷設がされる直前の風景です。

 紀国堂=和歌山市ト半町=店主の溝端佳則さんのコレクションを紹介します。

(ニュース和歌山/2020年2月15日更新)