ここで電話交換手として勤務していた宮崎ヨシヅさん(92)によると、二階が電話交換室、三階が更衣室でした。

 一九四五(昭和二十)年七月九日の和歌山大空襲の夜、宮崎さんは午後四時から翌朝七時までの夜勤でしたが、午後八時に大阪からの通信で警戒警報を県庁につなぎ、解除の連絡がないまま午後九時ごろに突然、空襲警報のサイレンが鳴り、爆撃が始まり、室内の電気が消え、二階のガラス越しに県庁方面を見ると、真っ赤に見えたとのことです。

 昭和二年に完成したこの建物は、戦災を経て今に残る数少ない建造物のひとつです。

 紀国堂店主の溝端佳則さんの収集品を紹介します。

(ニュース和歌山/2020年5月9日更新)