読者の皆さんから寄せられた和歌山に関する素朴な疑問を編集部が調査する人気コーナー「和歌山謎解き代行社」。今回はお正月特別編として、多くの疑問が届いた「和歌山城」にまつわる不思議について調べました。
写真=虎伏山にそびえる和歌山城

Q どうして「虎伏城」と言うの?

A 幕末についた名の可能性も

 和歌山市の70代女性から「和歌山城のことを虎伏城とも言うのはなぜ?」とのご質問を頂きました。

 江戸時代には「虎伏山竹垣城」と呼ばれ、「虎伏城」「伏虎城」とも言われます。ちなみに二ノ丸広場近くにあるのは「伏虎像」(写真左)。本紙発行『ふるさと和歌山城』の著者で、日本城郭史学会委員の水島大二さんに尋ねました。

 「確固たる記録はなく、正しくは分かりません」と水島さん。「別名はどこの城にもありますが、後世についた名前も少なくないのです」

 水島さんが紹介してくれたのは2説。一つは紀州藩の歴史書『南紀徳川史』に記される「海から見ると、城の建つ山が伏せた虎に似ているため」です。観光関連のホームページにも記され、最も流布する説です。

 もう一つは、戦国時代に2代目の城代として入城した桑山氏にかかわる説です。

 城代となった桑山重晴がその前に居城とした竹田城(兵庫県朝来市)。「天空の城」として知られるこの城は通称「虎臥(とらふす)城」で、重晴の入城でその名が持ち込まれたかもしれません。「しかし、あくまでも想像。無関係にも思えませんが、記録はないです」

 そのうえで「東西、南北に2つの峰をもつ山や丘をそう呼んだ可能性があります。伊太祁曽神社東にも虎伏山という丘があります。江戸時代の人は虎を見たことがないはず。『南紀徳川史』の内容も疑問があり、幕末になっての呼び名かもしれません。まず虎が伏した姿に見える角度を探してみませんか」と語ります。

 

Q 〝追廻門〟その由来は?

A 乗馬の練習場近くだから

 「追廻門の名の由来は何ですか?」。和歌山市の50代男性からの質問も来ています。

 大手門、岡口門、不明門と和歌山城にはいくつか門がありますが、追廻門は天守閣の西にある赤い門です。春先は桜の美しいスポットで、『紀伊国名所図会』にも人がたくさん行き交う場所として描かれています。右の質問に合わせ、これについても水島さんにうかがいました。

 門の付近は扇ノ芝と言います。この前には馬場があって、乗馬の練習や馬上から矢を射る流鏑馬(やぶさめ)の練習をする場があった。その勇壮な姿は『名所図会』の「扇ノ芝」(絵下)にも描かれています。

 「このように馬を乗り回した馬場近くのことから、追廻門と名付けたのではないでしょうか。福岡城にもかつては追廻門がありました。今は石垣のみです」とのことです。

写真=赤色が特徴の追廻門

 

Q なぜ城内に動物園があるの?

A 先進的な公園を目指したから

 大人も子どもも楽しめる、動物園についての疑問です。海南市の山本浩子さんから届いた質問「和歌山城にはなぜ動物園ができたのか?」です。和歌山城以外で、城もしくは城跡で国指定の史跡内に動物園があるのは、神奈川県の小田原城内にある小田原動物園、兵庫県姫路城内の姫路市立動物園、そして富山県高岡城の高岡古城公園動物園の3ヵ所と、全国的にも非常に珍しいのです。

 和歌山市和歌山城整備企画課に聞いたところ、1915年、荒廃していた和歌山城公園全体を整備することになりました。その一環で、動物園を設置したそうです。

 当時、日本に動物園は東京、京都、大阪の3ヵ所しかなく、動物園自体が一般的ではありませんでした。そこで先進的な公園にしたいと、鳥、サル、鹿の3種類を紹介することに。その時はまだ「動物園」とはうたっておらず、あくまで和歌山城公園の中に動物が展示されている状況でした。

 その4年後の19年、サルの小屋を改良したことが新聞に掲載され、そこで初めて「動物園」と表記されました。
 開園から100年以上経ち、昨年は3月に閉園したみさき公園からフンボルトペンギンやタンチョウヅル、ハクチョウ、マーラ、クサガメなどが加わり、全部で45種類います。遠出するのは気が引けるご時世、散歩ついでに動物園の新しい仲間に会いに行くのもいいかもしれませんね。

写真=新しい仲間たちも人気だ

(ニュース和歌山/2021年1月3日更新)