その地域を表す地名、調べると色んな「へー」がありますね。今回は和歌山市の60代女性ほかから届いた疑問「薬種畑のバス停がなくなったのはなぜ? 昔、薬草の畑があった地域と聞いたことがありますが…」を調査します。

 薬種畑は同市湊の小字で、南海和歌山港駅の東、花王和歌山工場の北側に位置します。足を運ぶと、自治会や団地の名称に今も使われていました。地元の人は「昔、殿様の薬草園があったと聞いた」と教えてくれました。何やら由緒がありそうですね。

 


 

花王の門が変更された影響で…

 「薬種畑のバス停がなくなったのはなぜ? 薬草の畑があったと聞いたことがあるが…」。まずはバス停名について、和歌山バスに聞きました。

 以前、薬種畑を通るバスは「花王工場前行き」と表示されていました。しかし、2009年、「薬種畑」停留所の隣り、「花王工場前」停留所のすぐ近くにある花王の門が通れなくなりました。そこで「花王工場前」停留所は所在地の「湊」へ。これに伴い、行き先表示は「花王工場前行き」から、「運輸支局行き」となりました。その影響を受け、和歌山運輸支局の西側にあった「薬種畑」停留所が「運輸支局前」に変更された…という訳です。

 続いて、もう1つの質問、薬種畑には薬草の畑はあったのか。和歌山市立博物館によると、1901年発刊の『南紀徳川史』には、この場所に濱御殿と呼ばれる殿様の別邸があり、隠居後に暮らしていた紀州藩8代藩主の徳川重倫は“御薬種様”と呼ばれたと書かれています。

 ただ、紀州藩の薬草園があった説や、8代将軍吉宗の政策でさとうきびや朝鮮人参を育てる場所だった説などが伝わっているものの、由来や地名の歴史が分かる資料は、残念ながら見つかりませんでした。

 なお、地元の人いわく、郵便は「湊」でなく、「薬種畑」と書いても届くそうです。

(ニュース和歌山/2021年2月13日更新)