和歌山城天守閣が戦後再建される前に、完成した状態を想定した立面図が当時の髙垣善一和歌山市長の遺品から見つかった。再建設計図は同市が所蔵し、同様の立面図は同市に住む男性から既に市に寄贈されているが、専門家は当時の市長の手元にあった点に注目。「再建を進めるプロセスの一端がうかがえる貴重な資料」と話している。

建築技師 松田茂樹さん設計〜故髙垣市長の遺品から発見

 1958年の戦後再建から今年60年を迎えた和歌山城天守閣。市のシンボルとして親しまれ、10月は再建60年記念イベントが開催されている。

 見つかった青焼きの立面図は、縦53㌢×横79㌢の6枚。1枚に「再建和歌山城設計画」と記され、「天守閣東面図」「天守閣楠門、二ノ門櫓南面図」などがある。立面図は建物の完成形を示し、石垣や鯱、避雷針まで緻密に描かれ、すみに市が最初に設計を依頼した県職員で建築技師だった松田茂樹さんの印が残る。

 著書に『和歌山城史話』がある松田さんは県庁本館の基本設計で知られ、市文化財保護委員を務め、郷土史に造詣が深かった。紀州藩お抱えの大工棟梁、水島家から天守閣の絵図面を一部譲り受けていた松田さんは54年に市からの依頼で設計案を作成。しかし、後輩で東京工業大教授の藤岡通夫さんに設計を譲った。藤岡さんは、松田さんの協力で集めた資料を元に木造で設計、その後にコンクリートで設計し直し、城を忠実に再現した。

 ニュース和歌山連載「ふるさと和歌山城」執筆者で日本城郭史学会委員の水島大二さんは「市長の手元にあったことに意味がある。松田さんは下調べや助言などかなり設計に協力しています。立面図は髙垣市長や藤岡さんに説明するために作ったのでは」。

 市城整備企画課は、天守閣再建時の復元設計図を所蔵し、最初に藤岡さんが木造用に作成した設計図原図も確認している。近年、江戸時代の天守閣設計図のうつしとみられる図面や、今回の立面図に天守の断面図、復旧計画図を加えて巻物にしたものの寄贈を受けるなど資料を蓄積する。

 戦後再建を調べる同課の大山僚介学芸員は「松田さんは昭和29〜30年に事前調査に動いており、立面図はその仕事の一コマでは」と推察。「再建といえば藤岡さんに焦点が当たるが、前段階で果たした松田さんの役割はもっと評価されるべき。また市長自身が持っていた再建関連資料は初めてと思う」と話す。

 立面図を見た一級建築士の栗山哲也さんは「トレーシングペーパーに手描きし、アンモニア臭の漂う青焼きで図面を作ってきた世代の者として親しみを感じる立面図。これらはお城がどのように再建されるのか、いち早く全体像を知って頂くため市長の手元に届けられたのでは。ディテールに至るまで精巧で、確かな資料をもとにして描かれた力作と思います。自分なりにこの図を検証してみたい」と語る。

 立面図は市に寄贈する予定で、髙垣市長の家族は「再建後、『もう自分には墓はいらない』と口癖のように言ったほどこの仕事に全身全霊をかけていた。記録に残せて良かった」と喜んでいる。

写真=再建に向け、精巧に描かれた和歌山城の立面図

(ニュース和歌山/2018年10月20日更新)