我が宿の 松の葉見つつ 我れ待たむ 早帰りませ 恋ひ死なぬとに 狭野弟上娘子

 マツは古くから人とのかかわりが深い木です。「待つ」が語源と言われ、神を迎え待つことから付けられた名前だそうです。それで神様をまつる際には欠かせない神聖な木になりました。今も正月の松飾りにその習慣が残っています。常緑で長寿、さらに樹形も力強く、人に好まれる要素に満ちていたからでしょう。

 ガスや電気などがあまり普及していなかったころは、マツの落ち葉や枯れ枝などを集めて、風呂やかまどの燃料に使いました。私の生まれ育った和歌山市松江では、これを「すくろ」と呼んでいました。1960年代前半の松江は白砂青松の地で、浜には幾重にも松林が続いていました。子どものころ、母の引くリヤカーに乗り、浜まですくろかきに行ったのを覚えています。

 さて、紀伊風土記の丘のマツですが、大きな木はほとんどありません。何年か前に松食い虫の被害がまん延し、その多くが枯死しました。今、見られるのは、大きくて10㍍ほどのクロマツとアカマツです。資料館の南に5本、安藤塚に3本ある立派なダイオウショウは、とても大きな松ぼっくりをつけます。

 万葉集には松を詠んだ歌が約80首ありますが、狭野弟上娘子(さののをとがみのをとめ)のこんな歌を紹介します。

 「我が宿の 松の葉見つつ 我れ待たむ 早帰りませ 恋ひ死なぬとに」

 庭の松の葉を眺めながら私はあなたを待ちましょう。早く帰って来てください。私が恋焦がれて死なないうちに…という意味です。好きで好きでたまらない人を待ちわびる気持ちがよく伝わってきますね。(和歌山県立紀伊風土記の丘職員、松下太)

写真=真冬でも青々と葉を茂らせるため古くから長寿と健康のシンボルとして親しまれる

(ニュース和歌山/2021年1月16日更新)